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小津、映画のこと

二年程前にTumblrに書いた文章の転載。若干の補筆。

 

世界一の映画に「東京物語」英誌、各国の監督投票 :日本経済新聞  http://s.nikkei.com/RcSmiW 

映画を一番よく見たのは大学生の頃。きっかけは、たしか論理学の授業だった。黒澤明の「羅生門」を取り上げ、「同じ出来事を見た4人の人間がそのことについて話をするが、それぞれの話す内容がまるで違うことについての考察をする」といったような課題が出た。(その課題はもっと学術的な意図を感じる知的な文章で書かれていたが、アホの僕には今その文章が再現できない。)青臭いガキだった僕は「大学教授という権威が評価する映画」というものにとても抵抗を感じていて、いや、アホのくせに賢い大学に入ってしまったコンプレックスなんかもあり、とにかく「どうせそんな映画つまんねーよ」と高をくくっていた。のだが、見てみるとこれがもうめちゃくちゃに面白く、悔しいなんて気持ちも吹き飛び、惹きこまれ、その事をきっかけに毎日のように映画を見始めた。 一番ひどい時は土日にビデオを12本借りてきて寝ずに見続けた。あまり他人とも接触せず、ひたすら映画に没頭していた。

小津安二郎にもその頃出会った。当時は映画の技術のことばかりに気を取られて、話の内容にまで関心がもてなかった気がするけれど。だんだん学校に行くのが嫌になり、映画ばかりを見て過ごした3回生の頃。結局大学を卒業できなかった僕は大きな挫折を味わい、躁状態のようなそれまでの人生は終わった。 そのことに後悔がなかったわけはない。散々悔やんだ。今となっては人間のとる選択はいつも必然であり、あの頃の幼稚な自分にはそれしか逃げ場がなかったのだとなんとなく思っているんだけれど。

 他人の気持ちを理解しようと努力するようになったのはそれから後のことだ。人と関わるごとに、摩擦を味わうごとに、今まで見てきた映画は走馬灯のように思い起こされ、挫折や、苦さや、優しさや、冷たさや、映画のうえで語られたそれらの事柄は、ひしひしと実感を伴って僕の心に触れた。学生当時鼻持ちならない映画オタクを気取っていたつもりだが、結局のところその映画ですらまともに見れていなかったのだと思い知った。自分の人生というものを生きなければ、いくら映画を見たって同じなんだということが少しわかった。そうして20代後半はもうほとんど映画を見ることもなくなっていった。


東京物語を見直してみる。そのローアングル。畳、玄関の土間からゆっくりカメラが動く。小さな日本人を映えさせる知慧。人物がフレームに入る時の構図。そし笠智衆東山千栄子の老夫婦のセリフの一つ一つ。話の筋を知ってから見たからか冒頭からすっかり泣けてしまう。不朽の名作というものが確かにここに存在する。

時が経って、いろいろなことがあって、あらためて映画を見た時にまた何かを発見する。映画に人生を託すようなことはもうないだろうが、しかし、人生のどこかでまた素晴らしい映画に触れてみたいと思った。