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菊池 「今ジャズ」がフュージョンであることの第二の理由は、拝外主義が復活したこと。スター・プレーヤーはアメリカにいて、日本人は全然ダメというものすごい懐かしい拝外思想が蘇生している。インターネット時代にベルリンも東京もバンコクもタンザニアのDJも同じ音源をかけるんだよ、っていうクラブ・カルチャーのインターネットナショナリズムのときに消えていた拝外主義が見事に復活した。(中略)
どんな天才がどこにいるかわかんなくて、いつYoutubeに上げるかわかんないっていうのはさ、すごく可能性があって素晴らしいことだけど、めちゃくちゃ疲れるんだよ。
ー それはもう強迫観念ですよね。
菊池 だから、ともすれば情報過多によって窒息してしまう現代の日本人に対して拝外思想は癒やしさえ与える、というか、要するに懐かしいわけ。(略)
ー 日本は特に拝外思想が強いですからね。
菊池 拝外思想は善くも悪くもない。単にひとつの思想だ。単に「アメリカはやっぱりいいな、本場にはすごいひとたちがいるな」って思いたい気持ちがここ何年かずっと抑圧されていたからね。
ー フュージョンはもともと拝外的だった?
菊池 音楽のムーブメントは全部拝外的だよ。「日本のスティーヴ・ガッドは村上ポンタ」とかね(笑)。(中略)しかし真に正しくフィールドワークするんだったら外山ッチ(外山明)のほうがやっていることは全然すごいわけ。だから日本はほんとうにガラパゴスだといえるわけだけどね。
ー ちょっと話を置いといて、たとえば90年代のティポグラフィカがやったことはいまのジャズより高度だったと思うんです。
菊池 いまよりずっと緻密で難易度は高かったけど、それが「高度」かどうかは別の問題。「緻密で難易度が高い=すごい=高度が高い」というのはプログレ好きの童貞の発想でしかない。
ー そんなことないでしょう(笑)?
菊池 緻密で難易度が高くて偉いんだったらピエール・ブーレーズが一番偉い。どんなすごいプログレ・バンドもピエール・ブーレーズの足元にも及ばない。そもそも、さっきのドラム・マシーンはあったけど、サックス・マシーンはなかった話に戻るけど、ワタシの『デギュスタシオン』以降の作品は、波形編集によって、生演奏ではやりずらいホーンのソロの状態を作って、それを肉体がトレースするという一連を行ったんだけど、何人(なんぴと)たりとも評価してくれない(笑)。まあ、もう20年くらい待つ(笑)。(後略)
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